当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大阪陸軍造兵廠 相野分工場

兵庫県三田市藍本には、大東亜戰争末期に大阪陸軍造兵廠の相野分工場(疎開工場:地下壕)がありました。
三田 ③カ壕内 (3)(大造 相野分工場)
▲支保工の残る壕






相野分工場の場所> ※青字は地図にリンクしています。
昭和20(1945)年、大坂城三之丸に所在した大阪陸軍造兵廠は、藍村(現、三田市藍本曲り)に疎開工場を設置、「相野分工場」として稼働します。


遺構について
現在、建物は残されていませんが、地元では「地蔵山」と呼称されている山に地下壕(完成1、未成3)が残されています。
三田 大阪陸軍造兵廠 相野分工場(大造 相野分工場)
▲相野分工場の略図

北側の壕口ア・ウ・オ・キは道路に面しており、地下壕には珍しく低い位置にあります。
ただ、道路に面しているためかウ・オ・キは不法投棄がされています。

①の壕(長さ60m)
※長さは全て約です。狭い部分はメジャーで計測しましたが、長い部分は歩測のためかなりいい加減です。
4本の壕のうち、唯一貫通しています。
三田 ①ア壕口からイ(大造 相野分工場)
▲①の壕内


ア 壕口(幅270x高230㎝)
三田 ①ア壕口(大造 相野分工場)
▲設備会社のすぐ裏に開口しています。

三田 ①木杭(アから10m)(大造 相野分工場)
▲①の壕の北側にのみ測量用の木杭(アから10mの地点)が残されています。

この場所を起点に横穴が掘削される予定だったのでしょうか?

三田 ①中央の貫通部土盛からア(大造 相野分工場)
▲貫通部分
他の壕を見て頂ければ分かりますが掘削は山の両側から進められたようで、①の壕の中央付近(アから28m)に盛り上がった部分があります。

三田 ①壕内の枕木跡(大造 相野分工場)
▲分かりにくいですが、壕床には枕木の痕跡が残されています。

三田 ①こうもり(大造 相野分工場)
▲冬眠中のコウモリ

オオゲジ閲覧注意
▲全長10㎝超のオオゲジが天井のあちこちに生息しているので、ムシの嫌いな方は要注意です。


イ 壕口(幅200x高100㎝)

三田 ①イ壕口(大造 相野分工場)
▲南側の壕口は通常の地下壕同様、地表から10m程の場所にあります。

土砂の崩落があり、壕口は狭まっています。


②の壕(北側:5.5m/南側:35m)
未成の壕の中でも最も進捗率が高い壕です。
三田 ②エ壕内 (4)(大造 相野分工場)
▲奥には掘削中の「ズリ」が、そのまま残されています。


ウ 壕口(幅230x高170㎝、アから14mの位置)
三田 ②ウ壕口(大造 相野分工場)

大量の瓶が投機されています。


エ 壕口
三田 ②エ壕口(大造 相野分工場)

内部は唯一水が溜まっておらず、壕口から20m付近に支保工の残骸が散乱しています。

奥には掘削中の「ズリ」が、そのまま残されています。


③の壕(北側:10m/南側:25m)

オ 壕口(幅250x高210㎝、ウから20mの位置)
三田 ③オ壕口(大造 相野分工場)
▲他の壕同様、大量の不法投棄がされており、良く見ると医療廃棄物があり異様な臭いといい、ある意味最も危険な壕です。

三田 ③オ突き当りの削岩機跡(大造 相野分工場)
▲奥には多数の削岩機の跡(黒い丸い部分)があります。


カ 壕口
壕口は土砂の崩落で殆ど埋まっています。
三田 ③カ壕口(大造 相野分工場)

三田 ③カ壕内の完存支保工支柱(大造 相野分工場)
▲壕口から15m程の場所に支保工が完存しています。
 67年間立っていた支保工はかなり腐食していますが、神々しく見えます。

分かりにくいですが、壕床には枕木の痕跡が残されています。

三田 ③カ壕奥に沈む支保工(大造 相野分工場)
▲奥の水没箇所には堰板と思われる板材が沈んでいます。


④の壕(北側:9m/南側:20m)
南側の壕内(ク)はかなり落盤しており、危険です。

キ 壕口(幅230x高200㎝、オから17mの位置)
三田 ④キ壕口 (2)(大造 相野分工場)

三田 ④キ突き当りズリ(大造 相野分工場)
▲奥には若干の削岩機の跡、ズリが残されています。


ク 壕口
三田 ④ク壕口(大造 相野分工場)
▲斜面上のやや奥まった所にあり、少し見つけにくいです。
 壕口は「カ」以上に崩落しており、入りにくいです。

三田 ④ク 壕口から(大造 相野分工場)
▲ク壕口から見た④の壕内
内部はかなり落盤した跡があり、壕口から3m程が浸水、4m付近は落盤しており支保工の支柱が立ったまま埋もれています。さらに、5m程進んだ先から奥まで落盤しており危険です。


⑤工場建屋跡
現在道路と民家が建っています。
三田 ⑤北側壕口全景(道路に工場があった)(大造 相野分工場)
▲アの壕口前から見たウオキの壕口のある地蔵山(左側の山)

所有者の方によると当時、壕口北側には工場建屋が数棟建てられ、旋盤等が搬入されいたそうです。
停戦後、工作機械はいつの間にか無くなっていたそうです。


⑥池
停戦後、火薬?(大阪陸軍造兵廠では火薬は殆ど扱っていないので、機械油、もしくは地下壕掘削のための発破用の爆薬か?)が処分され、赤色に染まったと言われています。


今回の調査にあたっては所有者の方の許可を頂いたうえ、お話も伺いました。
この場を借りてお礼申し上げます。

なお、この地下壕は掘削から67年が経過しており、当時内部を支えていた支保工も全く無いため落盤・崩落の危険性があります。
内部に入る際は充分気を付け、できれば壕口から覗く程度にしておいた方が無難です。
万が一危険な目に遭っても、当方では一切の責任を負いません。



相野分工場について
昭和20(1945)年3月、米軍による本土空襲が開始されると大阪市内に所在する軍需工場の被害が増加、空襲を避け生産を維持するため、近隣の山間部への製造設備分散移転が開始されます。

兵庫県有馬郡(現、三田市)には、大阪陸軍造兵廠藍村(現、三田市藍本)、大阪陸軍被服支廠三田學園(現、三田学園中高校)、住友金属工業株式会社プロペラ製造所広野(現、けやき台)に工場を、大阪陸軍兵器補給廠有馬ゴルフ倶樂部(現、三田ゴルフクラブ)に倉庫を疎開・移転します。

大阪陸軍造兵廠は兵庫県有馬郡藍村(現、三田市藍本曲り)の官有地(現、私有地)に地下工場(地下壕)を掘削・製造工場を建設し旋盤等を搬入、「相野分工場」として稼働します。
相野分工場の製造品目については手元の観光協会から頂いた資料には「高射砲の製造」と記されています。
旋盤等が設置されていた事から、大阪陸軍造兵廠の主力製造品目である火砲の砲身の製造を開始していたようです。
ただ、地下壕内は狭隘で同じく大阪陸軍造兵廠枚方製造所の疎開工場(交野市私市)に見られるような横坑も無い事から、製造は地下壕の外に造られた建屋で行われ、資材や製品の保管に地下壕が使用された?
もしくは、地下壕は未だ掘削段階だったので、完成後に使用予定だった?と考えられます。

工場の建設については同じく観光協会資料には「地下施設隊を派遣して・・・」と記述されていますが、全20隊の地下施設隊で停戦時に兵庫県に展開していた部隊が無く、地下施設隊と造兵廠の指揮系統も異なるため誤りと思われます。
他の資料には「近隣に労務者の飯場が2ヶ所」(平成21年8月16日 神戸新聞)、「學校報國隊(学徒勤労)が従事」(『桜陵通信34』:三田学園同窓会誌)等が見える事から、陸軍省経理局もしくは大阪陸軍造兵廠会計課が委託した民間業者主導で行われたと思われますが、詳細は不明です。

建設時期に付いては「6月に入ると・・・相野地区での建設予定地や道路の整地、資材の運搬・・・」(『桜陵通信34』)とある事から、工事着工は昭和20(1945)年の停戦数ヶ月前に開始されたようです。

また、分工場の工員は近隣の民家に分宿していたようです(平成21年8月16日 神戸新聞)。
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No Title

私は絶対無理、写真を見てるだけで身の毛もよだちます。

Re: No Title

①の地下壕は岩盤も固く、横坑も無いですし短いので「初めての地下壕」には良いかも知れませんよ。

No Title

地下壕には入った事はありますが、コウモリがいると思っただけで、心臓が止まりそうです。
暗い所、怖いです。

Re: No Title

ですよね~。
kanさん程の方が行かれて無いわけないですよね。
確かにコウモリや小動物の不意打ちには一瞬焦りますね。
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Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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