当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

大阪陸軍造兵廠 相野分工場

兵庫県三田市藍本に大阪陸軍造兵廠 相野分工場がありました。

三田 ③カ壕内 (3)(大造 相野分工場)
▲山林に遺る地下工場跡

【探索日時】
平成23年12月30日





遺構について
大阪陸軍造兵廠 相野分工場
昭和20(1945)年3月、米軍による本土空襲が本格化するなか、陸軍省は大阪市内に所在する生産設備の林間部への疎開を推進します。

兵庫県有馬郡(現、三田市)には、大阪陸軍造兵廠藍村(現、三田市藍本)、大阪陸軍被服支廠三田學園(現、三田学園中高校)、住友金属工業㈱プロペラ製造所広野(現、けやき台)に工場、大阪陸軍兵器補給廠有馬ゴルフ倶樂部(現、三田ゴルフクラブ)に倉庫を選定します。

昭和20(1945)年6月、大阪陸軍造兵廠は藍村(現、三田市藍本曲り)の官有林に疎開工場(地上・地下)の建設を開始、相野分工場として建設作業と並行して完成した工場から随時、高射砲の製造を始めるなか、8月15日、『大東亞戰爭終結ノ詔書』を拝し、16日、停戦を迎えました。

工場の建設については資料に「地下施設隊を派遣して・・・」とありますが、全20隊の地下施設隊で停戦時に兵庫県に展開していた部隊が無く、地下施設隊とは指揮系統も異なるため誤りと思われます。

工員は付近の民家に分宿して生産にあたり、停戦後、火薬?(地下壕掘削のための発破用の爆薬?)が⑥の池で処分され、赤色に染まっていたそうです。

現在、地元で「地蔵山」と称されている山に地下壕(完成1、未成3)が遺されていますが、貫通している地下壕も狭く未完成だった様です。
三田 大阪陸軍造兵廠 相野分工場(大造 相野分工場)
▲相野分工場の遺構

① 壕(長さ60m)
4本の壕のうち、唯一貫通しています。
三田 ①ア壕口からイ(大造 相野分工場)
▲① 壕内

ア 壕口(幅270x高230㎝)
設備会社の裏に開口しています。
三田 ①ア壕口(大造 相野分工場)

壕口から10mの天井に測量用の木杭が遺されています。
三田 ①木杭(アから10m)(大造 相野分工場)
▲この場所を起点に横穴が掘削される予定だった?

①壕の中央付近(アから28m)に整地されず盛り上がった部分があり、貫通したばかりだった様です。
三田 ①中央の貫通部土盛からア(大造 相野分工場)
▲中央部分の盛り上がり

三田 ①壕内の枕木跡(大造 相野分工場)
▲壕床に遺る枕木の跡

イ 壕口(幅200x高100㎝)
南側の壕口は道路から5m程登った位置にあります。
三田 ①イ壕口(大造 相野分工場)


② 壕(北側:5.5m/南側:35m)
未成の壕の中でも最も進捗率が高い壕です。
三田 ②エ壕内 (4)(大造 相野分工場)
▲切羽に残されたズリ

ウ 壕口(幅230x高170㎝、アから14m)
大量の瓶が投棄されています。
三田 ②ウ壕口(大造 相野分工場)

エ 壕口
内部は浸水しておらず、壕口から20m付近に支保工の残骸が散乱しています。
三田 ②エ壕口(大造 相野分工場)
▲切羽に残されたズリ


③ 壕(北側:10m/南側:25m)
大量の医療廃棄物が投棄がされており、異臭がします。
オ 壕口(幅250x高210㎝、ウから20m)
三田 ③オ壕口(大造 相野分工場)

三田 ③オ突き当りの削岩機跡(大造 相野分工場)
▲切羽に遺る削岩機の跡(黒い丸い部分)

カ 壕口
壕口は崩落しています。
三田 ③カ壕口(大造 相野分工場)

壕口から15m程の場所に支保工が完存しています。
三田 ③カ壕内の完存支保工支柱(大造 相野分工場)
▲壕床には枕木の痕跡が残ります

三田 ③カ壕奥に沈む支保工(大造 相野分工場)
▲切羽の浸水に残る堰板と思われる板材


④ 壕(北側:9m/南側:20m)
キ 壕口(幅230x高200㎝、オから17m)
三田 ④キ壕口 (2)(大造 相野分工場)

三田 ④キ突き当りズリ(大造 相野分工場)
▲切羽に削岩機の跡、ズリが残されています

ク 壕口
内部はかなり崩落し荒れています。
壕口から3m程が浸水、4m付近は崩落、さらに、5m程進んだ先から奥まで崩落しています。
三田 ④ク壕口(大造 相野分工場)
▲斜面上の少し奥にあり、やや見つけにくいです

三田 ④ク 壕口から(大造 相野分工場)
▲ク壕口から見た④の壕内


⑤地上工場跡
現在、道路と民家になっています。
三田 ⑤北側壕口全景(道路に工場があった)(大造 相野分工場)
▲アの壕口前から見た地蔵山(左)

所有者の方によると当時、壕口北側には工場建屋が数棟建てられ、旋盤等が搬入されいたそうです。
停戦後、工作機械はいつの間にか無くなっていたとの事。

今回の調査にあたっては所有者の方の許可を頂いたうえ、お話も伺いました。この場を借りてお礼申し上げます。

主要参考文献
三田市観光協会 資料

神戸新聞(平成21年8月16日)

『桜陵通信34』
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No Title

私は絶対無理、写真を見てるだけで身の毛もよだちます。

Re: No Title

①の地下壕は岩盤も固く、横坑も無いですし短いので「初めての地下壕」には良いかも知れませんよ。

No Title

地下壕には入った事はありますが、コウモリがいると思っただけで、心臓が止まりそうです。
暗い所、怖いです。

Re: No Title

ですよね~。
kanさん程の方が行かれて無いわけないですよね。
確かにコウモリや小動物の不意打ちには一瞬焦りますね。
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 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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