当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
それ以外の記事も混在しているので、左欄「カテゴリー」からお進みください。●●文字数調整●太平洋戦争●
なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

旧熊本陸軍地方幼年學校

熊本城の二之丸北端「監物台」には熊本陸軍地方幼年學校がありました。
 熊幼-監物台校舎 熊幼 校章(熊本陸軍遺構)
▲陸軍幼年學校生徒 襟章






熊本陸軍地方幼年學校の場所
昭和6年頃の地図★拡大(大正15年測量、昭和6年部分修正 大日本帝國測量部)
▲昭和6年頃の地図(大正15年測量、昭和6年部分修正 大日本帝國陸地測量部)
 熊本城内北側中央の紫色部分が「熊本陸軍地方幼年學校」

熊本 第六師團(城周辺)  遺構
▲現在の地図に施設を転写したもの

場所は上掲地図の⑦「熊本陸軍教導學校」・⑪「輜重兵第六聯隊」・⑫「第六師團経理部、及び倉庫」に挟まれた熊本城域の北端の区画で、現在は「監物台樹木園」があります。

熊本陸軍地方幼年學校は明治30(1897)年6月9日、棒庵坂上(加藤神社辺りか?)に仮校舎が開設、明治31(1898)年5月9日、監物台に新校舎が完成、移転します。
大正9(1920)年8月10日、熊本陸軍幼年學校と改称、昭和2(1927)年3月31日、軍縮により廃校されます。

遺構について※青字は地図にリンクしています
カタカナは遺構など、上掲地図参照
監物台にあった熊本陸軍幼年學校は昭和2(1927)年3月31日に廃校されますが、昭和14(1939)年4月1日、二之丸の熊本陸軍教導學校内で復校、昭和15(1940)年3月27日、清水村に移転し、「清水薹」と呼ばれます。
監物台の校舎等は大正15年測量(昭和6年部分修正)の地図に建物が記入されていない事から、廃校時に全て撤去されたようです。
昭和27(1952)年、九州森林管理局の「監物台樹木園」が開園し現在にいたりますが、敷地内に当時の遺構が数点残されています。
校門以外の見学には入園料200円が必要です。

キ 校門門柱
 熊幼-監物台校舎 キ幼年學校 正門(熊本陸軍遺構)
▲石造の校門門柱
 熊本陸軍幼年學校の物と言われています。

『熊本兵団史』や陸自・北熊本駐屯地に当時の門柱の写真が掲載されていますが、どちらも煉瓦造で上掲の門柱とは明らかに違います。
門札が「熊本陸軍幼年學校」になっている事から大正9(1920)年以降の写真のようですが、後に造り代えられたのでしょうか?
 熊幼-監物台校舎 熊幼 監物台校舎(熊本陸軍遺構)
▲大正9(1920)年以降の煉瓦製の校門門柱


ク 防空壕
 熊幼-監物台校舎 ク防空壕 東から(熊本陸軍遺構)
▲入口

 熊幼-監物台校舎 ク防空壕 南から(熊本陸軍遺構)
▲側面から

敷地北側に石造の防空壕があります。
職員の方によると戦時中に造られた物で、現在は防犯カメラ室になっているそうです。


ケ 「熊本陸軍幼年學校跡」碑
 熊幼-監物台校舎 ケ熊本陸軍幼年學校跡 碑(熊本陸軍遺構)

敷地北端、監物櫓東側にあります。
昭和15(1940)年4月1日、熊本陸軍幼年學校長・鯉登行一少将により建立されました。

「熊本陸軍幼年學校跡」碑の周辺には卒業生の記念植樹があります。
 熊幼-監物台校舎 ケ熊幼第二十七期生植樹(熊本陸軍遺構)
▲「熊幼第二十七期生植樹」碑(大正12年入校)

 熊幼-監物台校舎 ケ熊幼第廿九・・・(熊本陸軍遺構)
▲「熊幼廿九(期生植樹?)」碑(大正14年入校)


上記以外にも敷地内にコンクリート製の建物基礎のような物が何ヶ所かありますが、当時の物かは不明です。
 熊幼-監物台校舎 建物基礎①? 北東から(熊本陸軍遺構)

 熊幼-監物台校舎 建物基礎②? 南東から(熊本陸軍遺構)


コ 「陸軍省所轄地」
コ 陸軍所轄地(監物櫓)(熊本陸軍遺構)

直接、陸幼とは関係ありませんが、監物櫓北側の熊本城登城口にあります。
撮影直前に前を歩いている犬が用を足して行きました・・・


熊本陸軍地方幼年學校
明治元(1868)年8月、京都に京都兵學校(明治2年1月、京都兵學所と改称)が設置され、華族、士族の子息を中心に兵学、練兵、建築、会計等を教授していました。
明治2(1869)年9月、京都の兵學所は規模が小さい事から、大阪城京橋口門内にフランス式の兵學寮学舎を建築し機能を移転します。
12月及び明治3(1870)年1月、青年生徒33名が入学し歩兵・騎兵・砲兵科の士官養成が開始され、4月からは建築科(工兵科)の仕官養成も開始されます(のち大阪兵學寮青年學舎)。

明治2(1869)年5月、横浜に将校の候補者を養成するため設置された横浜語學所(江戸幕府の陸軍学校)が明治3(1870)年5月、大阪城多門櫓内に在来生徒35名とともに移転して来ます(生徒を幼年生徒、学舎を大阪兵學寮幼年學舎と称しました)。
この両学舎を大阪兵學寮陸軍學舎と総称しました。
4月、『兵學寮青年、幼年學舎規則』が制定されます。

明治3(1870)年閏10月、『陸軍兵學令』が改定され、兵學寮は陸海軍の士官を養成する事を目的とし、青年學舎は年長者に術科を教授し士官を速成、幼年學舎は年少者に基礎教育を教授し本格的な士官を養成するものと規定します。
同時に各藩に石高に応じた生徒数を割り当て陸軍生徒ととして兵學寮に派遣するよう命じました(幼年學舎の生徒数は130余名となります)。

明治3(1870)年11月、東京築地の「海軍操練所」が「海軍兵學校」と改称したのに伴い、大阪兵學寮は陸軍兵學寮と改称します。
明治4(1871)年12月10日、陸軍兵學寮は東京府に移転、明治5(1872)年、『陸軍兵學令』改正に伴い陸軍兵學寮幼年學舎は陸軍兵學寮幼年學校と改称、独立します。
明治7(1874)年12月、陸軍兵學寮が陸軍士官學校と改称、明治8(1875)年1月、陸軍兵學寮幼年學校も陸軍幼年學校と改称します。

明治20(1887)年、『陸軍士官學校官制』とともに『陸軍幼年學校官制』が制定され再度設立され、明治22(1889)年6月、『陸軍幼年學校官制』は廃止され『陸軍幼年學校条例』が制定されます。

明治29(1896)年5月、国防のため軍備増強の必要性から『陸軍幼年学校条例』は廃止され、『陸軍中央幼年學校条例』、『陸軍地方幼年學校条例』が制定、優秀な人材を育成するため東京に「陸軍中央幼年學校」、東京、仙台、名古屋、大阪、広島、熊本に各陸軍地方幼年學校の設立が決定します。

明治30(1897)年6月9日、棒庵坂上(加藤神社辺りか?)に熊本陸軍地方幼年學校の仮校舎が開設、9月1日、第一期生徒50名が入校します。

生徒は13歳で入学し、1日の日課は0600起床から2130消灯までで、午前中4部・午後1部の教授(座学)、午後2部の訓育(軍事教練・武技)各50分の授業が3年間行われました。

明治31(1898)年5月9日、監物台に新校舎が完成、移転します。

大正9(1920)年、『陸軍幼年學校令』が制定され、8月10日、陸軍中央幼年學校本科(明治36年6月29日、陸軍中央幼年學校から改称)を陸軍士官學校予科に、陸軍中央幼年學校予科(同、東京陸軍地方幼年學校から改称)を東京陸軍幼年學校に、各陸軍地方幼年學校を各陸軍幼年學校と改称、熊本陸軍地方幼年學校は熊本陸軍幼年學校と改称されます。

大正11(1922)年、世界的な軍縮傾向により、大阪、大正12(1923)年、名古屋、大正13(1924)年、仙臺、大正14(1925)年、廣島、そして大正15(1926)年、熊本陸軍幼年學校の廃校が決定、昭和2(1927)年3月31日、熊本陸軍幼年學校は二十九期生の卒業をもって廃校されました。

昭和11(1936)年、廣島、昭和12(1937)年、仙臺に続き、昭和14(1939)年4月1日、熊本陸軍幼年學校は熊本城二之丸の熊本陸軍教導學校内で復校、四十三期生150名が入校します(三十~四十二期は欠)。
昭和15(1940)年3月27日、清水臺に新校舎が完成し移転します。
昭和20(1945)8月15日、職員・生徒(四十七・四十八・四十九期生)は『大東亜戦争終結ノ詔書』の玉音放送を拝聴、28日、『復員令』などが伝達され、31日、復員完了、熊本陸軍幼年學校は廃校されます。

本校は監物台二十九期、清水台四十三から四十九期、合計2,828名が学び優秀な帝國陸軍軍人を輩出しました。

10月5日、米海兵第2師団第8連隊により接収され、「キャンプ・ウッド」と改称、敷地が東西に拡張されます。
昭和31(1956)年10月、米軍より返還され、12月、北熊本駐屯地が開設、第8混成団の一部が駐屯を開始します。
昭和37(1962)年8月、第8混成団は第8師団改編され現在に至ります。


主要参考文献
・北熊本駐屯地「防衛館(資料館)」 展示資・史料

・同 パンフレット

・『熊本の戦争遺跡』(平成22年12月 創想舎)
関連記事



最後までお読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
↓↓↓
宜しかったらクリックお願いします


人気ブログランキングへ

コメントの投稿

非公開コメント

戦史検定を受けよう!
当ブログは
「戦史検定」を応援します
戦史検定
カテゴリ
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
カウンター
最新コメント
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
御英霊の鎮まる処
殉国の御英霊に
感謝の誠を捧げましょう
靖國神社
兵庫縣神戸護國神社
大阪護国神社
プロフィール

盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

拙ブログを参照した際はリンクを張って頂けたら嬉しいです
(^o^)
--------------
※掲載写真・資料の
無断転載は禁止します。


●Facebookやってますので本名ご存知の方はぜひ。
目印は水木しげる先生風の自画像です(笑)

検索フォーム
リンク
地図・史資料
埼玉西武ライオンズ
埼玉西武ライオンズ
ライオンズニュース
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる