当ブログは主に「帝國陸海軍関連の軍跡(遺構・戦跡・石碑など)」・「英霊顕彰施設」を紹介していますが、
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なお、紹介する軍跡は資料不足から漏れ・誤認等もあると思いますのでお気付きの点があれば、ご教示頂ければ幸いです。

小田原城、貴重な堀の遺構出土するも・・・

小田原城三之丸跡でのマンション新築工事に伴う発掘調査で、石垣を伴う江戸時代の堀と、戦国時代の障子堀が出土しました。






貴重な堀の遺跡発見 土地所有者は遺跡保護を訴える動きも 2012年2月18日号


 戦国時代の小田原城について、不明な部分を解明する手掛かりになる堀の遺跡が先月、市内栄町のマンション新築に伴う調査で発見された。小田原城三の丸北側虎口(城の出入り口)にあたる幸田口門の南側にあり、石垣を伴う江戸時代の堀(1号堀)と、戦国時代の障子堀(2号堀)が見られている。

 どちらの堀も城絵図に描かれていない堀で、どのように展開されているか明確ではない。1号堀は当時の城絵図と異なっていたと見られる。また2号堀は戦国時代の小田原城の縄張り(曲輪)の配置を解明する手掛かりになるという。

 1号堀は同地点の東側で過去に行われた発掘調査でも発見されており、データを総合すると堀の幅約20mの大きな堀と考えられる。構築時期は16世紀末から17世紀前半と推定される。

 2号堀には田の畦のように堀障子と呼ばれる施設が十字に設けられている。堀障子は1列に並ぶ形が主体だった。市文化財課によると、十字に設けられた障子堀は大変珍しく、小田原城八幡古郭西曲輪西堀に次いで2例目。年代は1570年から80年代の北条時代のものと推定される。どちらも今後も調査が続けられるという。

 土地の一部を所有するMさんは、この遺跡を残そうと副市長に話を持ち掛けている。しかし市からの返答は無く、Mさんは現在別の形で遺跡を残せないか思案中だという。「現状保存や復元保存など色々提案した。多少なりとも便宜を図ってほしかった。観光客に、少しでも小田原に興味を持ってもらえたのではないか。観光開発に力添えできたのでは」と松山さんはコメントした。(タウンニュース


「障子堀」とは「畝堀」とも呼ばれ、堀の底に文字通り「畝」を設ける事で、進入してくる敵の移動を困難にさせる防御構造です。
かつては「後北条=障子掘」、「障子掘を持つ城は後北条系の城」と言われる程、後北条家の城郭の特徴と見られました。
近年では後北条家に関係無い城郭からも障子掘が出土(我が大阪の大坂城三之丸からも出土)している事から、前説は否定されていますが、それでも後北条家の築城の特徴として障子掘の多様は見られます。

有名な城郭としては豊臣秀吉による小田原征伐で落城した山中城(城主:北条氏勝・静岡県三島市)があります。
山中城は復元とは言え障子掘が非常に見事に整備され、土塁・空堀が中心で建物は一切ありませんが、日本100名城にも選定されています。
※山中城(「埋もれた古城」様)

後北条家の本城である小田原城から障子掘が出土した意義は非常に大きく、城郭ファンなら小田原城とセットで見に行く価値があります。
少なくとも鉄筋の外観復元天守よりは遥かに貴重で、天守は見ずとも障子掘は見るべきです。
しかも、絵図に掲載されていない事から、謎の多い後北条期の小田原城解明の手がかりになるかも知れません。

小田原城は後北条家滅亡後は関東に入封した徳川家康により譜代の家臣・大久保忠世に与えられ、大久保氏の居城として明治維新を迎えます。
今回出土した近世石垣はこちらも城絵図に描かれていない堀で、非常に資料的価値が大きいものです。

驚いたのが地権者の方が、この貴重な遺構を市のために残そうという意思がある事です!
これはなかなか出来ない事で、尊敬に値します。
僕の母方の実家も土地を持っていますが、恐らく貴重な遺構が出てきても容赦なく潰すと思いますし、奈良の取引先の社長も「この辺は遺跡が出ることがあるけど、みんな黙ってる(=壊す)」と言っています。

そして何より地権者の申し出に対する小田原市の対応には、さらに驚かされました。
「しかし市からの返答は無く・・・」
( ゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
(;゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

だめだこりゃ

在日朝鮮人と反日サヨク団体の圧力に屈し、最も史実に即して記述された「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社、自由社の教科書を「採択しない」と全会一致で可決した恥ずべき市議会を持ち、小田原城を語る上で外せない障子掘に無関心は副市長。

史実と虚構を履き違え、歴史に対し真摯に向き合う姿勢が全く感じられない小田原市です。
小田原城天守近辺の城門などはセッセと復元しているようですが、あくまで「復元」であり「現存」では無く、その重みは雲泥の差です。
復元の櫓10基よりも、現存の堀10mのほうが遥かに貴重です。

小田原城の天守を木造で復元すると言う動き(『木造再建の可能性調査へ』タウンニュース 2012年2月18日)もあるようですが、その金があるなら「現存」遺構を残すほうが遥かに価値はると思います。

小田原城もそうですが、松江城(歴史博物館予定地から武家屋敷跡)、福山城(市営駐車場改修地から石垣)など城が大きな観光名所になっている自治体にも拘わらず、出土した遺構に非常に冷淡、理解がありません。
まだ、小田原城の様に私有地ならある程度仕方ないと思いますが、松江城、福山城ともに市有地からの出土を破壊しようとしていましたから話になりません。

トップがアホなら貴重な遺構よりも開発の悪い例です。
うわべの築城◯◯年祭も良いですが、歴史の重みを理解し、収益の一部を遺構の保存にも使ってもらいたいものです。
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盡忠報國

Author:盡忠報國
大阪在住、遂に40代になってしまった男児です。

 明治開国以降、幾多の国難に立ち向かった先人達。
 光輝ある精強・帝國陸海軍が各地に築いた国防・軍事施設、そして祖国の弥栄を願い悠久の大義に生きた殉国の英霊の志に触れるべく訪問した顕彰・慰霊施設を紹介するとともに、戦後歪められた先人達、国軍・軍人の名誉を回復する事を目指し記述しています。

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