京都観光
今日は三重県在住の知人と京都に観光に(知人のの撮影行に付いて)行って来ました。

▲二条城 二の丸御殿~車寄・遠侍・式台・大広間(左から)

慶應3(1867)年、十五代将軍・慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷所有となり、明治17(1884)年には離宮、昭和14(1939)年、京都市に下賜されました。

▲東大手門

▲番所
二条城の最大の見所は全国で唯一完存する御殿建築である「二の丸御殿」です。
「二の丸御殿」は国宝に指定されていており、将軍家の御殿だけに非常に豪華で、内部には十五代将軍・徳川慶喜が在京40藩の藩主を前に大政奉還の決意を告げた場面が実物大で再現されています。

▲二条城 二の丸御殿~車寄・遠侍・式台・大広間(左から)

▲二之丸御殿 車寄の破風
非常に豪壮な細工が施されています。

▲本丸御殿(旧桂離宮を移築)

▲本丸御殿 玄関

▲天守台
当初は伏見城から移築された天守が挙がっていましたが、天守はその後落雷で焼失してしまいました。
二条城には10年程前に同じ知人と中納言殿と訪れましたが、その時は誰もカメラを持っておらず写真が一枚もありません。
その後、訪れましたが、その時は時間が無く、外周を回っただけでした。
今回は満を持して内部に入り、貴重な二の丸御殿を撮影しました。
知人は城郭よりも、梅を撮りに来たようです。
梅は種類によりますが、5~8分咲きといったところでしょうか。




大仏は東大寺の大仏を凌駕する18mあったと言われます。
慶長1(1596)年、慶長伏見地震により倒壊、その後、豊臣秀頼により再建されたが、寛政10(1798)年、落雷による火災で焼失してしまいます。
大仏殿は現在の豊国神社拝殿付近から、その東側の大仏殿跡緑地公園辺りにあったようで、その規模は発掘調査によると東西約55m、南北約90mと言われます。
現在は往時を偲ぶ規模は無く、想像より遥かに小さい寺院です。

▲本堂
この方廣寺ですが、戦国時代好きな方には非常に有名な寺です。
寺と言うより「梵鐘」です。
「大坂の陣」の発端となった有名な「国家安康」「君臣豊楽」の刻字のある梵鐘です。

▲梵鐘

▲家康の政僧・金地院崇伝がイチャモンを付け、腐れ儒者・林羅山が煽った「国家安康」「君臣豊楽」の刻字
また、鐘つき堂には大仏殿の遺物が数点展示されています。

▲鉄製の建築資材が置かれていますが、大きさから大仏殿の巨大さが伺われます。

▲国宝の唐門
伏見城の遺構と言われ、西本願寺、大徳寺の唐門と並び「国宝三唐門」の1つとされます。

▲灯篭

▲大谷祖廟への参道

▲円山公園

▲高台寺公園「祈りの灯り」

▲高台寺公園

▲二寧坂

▲八坂の塔

▲狐の嫁入り

▲八坂神社
知人の電車の時間があったので、短時間での見学になりましたが、カメラを持った方やデートの方が非常に多かったです。
本来は二条城の後に「三十三間堂」を拝観予定でしたが、15:40に着いたところ、冬季は15:30まで(早っ!!)との事で、すでに閉まっていましたOTL
次回は時間に気を付けて行ってみたいと思います。
最後までお読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m
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▲二条城 二の丸御殿~車寄・遠侍・式台・大広間(左から)


二条城は慶長8(1603)年、徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営し、三代将軍・家光が、伏見城の遺構を移設するなどして、寛永3(1626)年に完成します。二条城 元離宮
慶應3(1867)年、十五代将軍・慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷所有となり、明治17(1884)年には離宮、昭和14(1939)年、京都市に下賜されました。

▲東大手門

▲番所
二条城の最大の見所は全国で唯一完存する御殿建築である「二の丸御殿」です。
「二の丸御殿」は国宝に指定されていており、将軍家の御殿だけに非常に豪華で、内部には十五代将軍・徳川慶喜が在京40藩の藩主を前に大政奉還の決意を告げた場面が実物大で再現されています。

▲二条城 二の丸御殿~車寄・遠侍・式台・大広間(左から)

▲二之丸御殿 車寄の破風
非常に豪壮な細工が施されています。

▲本丸御殿(旧桂離宮を移築)

▲本丸御殿 玄関

▲天守台
当初は伏見城から移築された天守が挙がっていましたが、天守はその後落雷で焼失してしまいました。
二条城には10年程前に同じ知人と中納言殿と訪れましたが、その時は誰もカメラを持っておらず写真が一枚もありません。
その後、訪れましたが、その時は時間が無く、外周を回っただけでした。
今回は満を持して内部に入り、貴重な二の丸御殿を撮影しました。
知人は城郭よりも、梅を撮りに来たようです。
梅は種類によりますが、5~8分咲きといったところでしょうか。




天正14(1586)年、豊臣秀吉により大仏殿の造営が開始され、文禄4(1595)年に完成します。方廣寺 天台宗山門派
大仏は東大寺の大仏を凌駕する18mあったと言われます。
慶長1(1596)年、慶長伏見地震により倒壊、その後、豊臣秀頼により再建されたが、寛政10(1798)年、落雷による火災で焼失してしまいます。
大仏殿は現在の豊国神社拝殿付近から、その東側の大仏殿跡緑地公園辺りにあったようで、その規模は発掘調査によると東西約55m、南北約90mと言われます。
現在は往時を偲ぶ規模は無く、想像より遥かに小さい寺院です。

▲本堂
この方廣寺ですが、戦国時代好きな方には非常に有名な寺です。
寺と言うより「梵鐘」です。
「大坂の陣」の発端となった有名な「国家安康」「君臣豊楽」の刻字のある梵鐘です。

▲梵鐘

▲家康の政僧・金地院崇伝がイチャモンを付け、腐れ儒者・林羅山が煽った「国家安康」「君臣豊楽」の刻字
また、鐘つき堂には大仏殿の遺物が数点展示されています。

▲鉄製の建築資材が置かれていますが、大きさから大仏殿の巨大さが伺われます。
方廣寺の南側にある、豊臣秀吉公をお祭りしている神社です。豊國神社

▲国宝の唐門
伏見城の遺構と言われ、西本願寺、大徳寺の唐門と並び「国宝三唐門」の1つとされます。
青蓮院から清水寺に至る街路、周辺寺院が電飾により彩られます。京都花灯籠 (東山一帯) 公式サイト

▲灯篭

▲大谷祖廟への参道

▲円山公園

▲高台寺公園「祈りの灯り」

▲高台寺公園

▲二寧坂

▲八坂の塔

▲狐の嫁入り

▲八坂神社
知人の電車の時間があったので、短時間での見学になりましたが、カメラを持った方やデートの方が非常に多かったです。
本来は二条城の後に「三十三間堂」を拝観予定でしたが、15:40に着いたところ、冬季は15:30まで(早っ!!)との事で、すでに閉まっていましたOTL
次回は時間に気を付けて行ってみたいと思います。
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